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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)2033号 判決

東京都文京区本郷四丁目三七番一七号

上告人

株式会社ニューロン

右代表者代表取締役

本島廣

右訴訟代理人弁護士

内野経一郎

仁平志奈子

春日秀一郎

浦岡由美子

中田好泰

栗原正一

埼玉県与野市上落合九七一-七 与野ダイヤハイツ七〇五号

被上告人

藤本彬

右当事者間の東京高等裁判所平成五年(ネ)第四四六九号特許権譲渡義務確認等請求事件について、同裁判所が平成六年七月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人内野経一郎、同仁平志奈子、同春日秀一郎、同浦岡由美子、同中田好泰、同栗原正一の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾崎行信 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫)

(平成六年(オ)第二〇三三号 上告人 株式会社ニューロン)

上告代理人内野経一郎、同仁平志奈子、同春日秀一郎、同浦岡由美子、同中田好泰、同

栗原正一の上告理由

第一

原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。すなわち、原判決は、いわゆる「黙示の合意」の解釈を誤り、このために上告人の控訴を棄却したものである。よって原判決は破棄を免れない。

一 原判決の訴外会社と被上告人の間の黙示の合意に関する事実認定と判断

1 本件発明はいわゆる職務発明である。

2 訴外会社の代表者には、職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意思が明白であった。

3 特許法三五条の趣旨に鑑みれば、従業者等の明示の意思が表示されている場合あるいは黙示の意思を推認できる明白な事情が認定できる場合以外には、特許を受ける権利または特許権を会社に帰属させる結果を招来させることが従業者等の合理的意思に合致すると軽々に推認することはできない。

4 特に使用者側において職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意思が明白な場合にまで、黙示の合意の成立を認めることはできない。

5 本件においては、次のような事情からして、黙示の合意を認めることはできない。

訴外会社は、本件発明の米国特許出願の直後である昭和五八年七月一日に本件特許について日本国特許庁に特許出願しており、この出願内容は米国特許成立の約八ヵ月前に公開されていることからして、ライバル会社の目をくぐり抜けるために個人出願としたとの被控訴人の主張には、必ずしも合理性がない。

訴外会社名での出願から個人名での出願に切り替えた時期は、被上告人が米国へ出国した後と認められ、これと異なる証人真部統の供述は信用できず、従って、訴外会社の都合上、被上告人の名義を借りただけであるとの主張も肯定しがたい。

訴外会社が本件出願費用を負担したことをもっては、特許権の譲渡の合意の成立を推認すべき合理的な事情とすることはできない。

上告人は、被上告人が本件特許維持料を二回にわたり支払っていることに対し、何ら出捐の意を用いていない。

本件発明について、訴外会社は昭和五八年七月一日に日本国特許庁に対し特許の出願をし、昭和六〇年六月二四日にイギリス、同月二六日に西ドイツにおいてそれぞれ特許の出願手続きをし、これに対する費用も同社が負担しており、被上告人はこれに異議を述べていない。しかし、被上告人の日本国への出願を知らされていなかったこと及び被上告人のイギリス及び西ドイツに対し特許出願をする意思がなかったという主張は、特許出願が各国ごとに独立して行われるものであることを考慮すれば、あながち不合理ではない。

二 原判決の法令解釈の誤り

1 原判決は、前示のとおり、訴外会社の代表者が、職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの明白な意思を有していたことをもって、被上告人の黙示の合意の意思を認める余地をほとんど認めていない。しかし、これはいわゆる「黙示の合意(黙示の意思表示)」の解釈を誤ったものというべきである。

なぜならば、黙示の意思表示であっても、「意思表示」である以上、それは、「内心の効果意思」「それを表示しようとする意思」「それを外に表す表示行為」で構成されているのであり、被上告人が、訴外会社に本件特許権を譲渡しようとする内心の意思を有していたか否かは、結局のところそうした内心の意思をうかがわせる被上告人の表示行為が存したか否かで判断されなければならないからである。

そしてその存否は、本件特許の申請過程及び特許認可後においての被上告人の言動、行動によってのみ決せられるべきである。訴外会社の使用者等の意思が如何様なものであったとしても、それを被上告人を取り巻いていた環境の一つとして背景事情として斟酌されることは格別、被上告人の黙示の意思表示の存否を決するものとするのは全く誤った法文の解釈といわざるをえない。

このような解釈をされるのなら、本件発明が職務発明であることが明白な本件事案において、あくまでも会社の職務とは関係のない個人発明である、との言い張る(原判決九ページ)被上告人においては、かえって黙示の合意を認める余地を広く解してもよい、とも言い得るのである。

2 また原判決は、発明者個人の権利保護を強調するが、それはその職務発明を使用者等に承継させた場合等に、従業者である発明者に「相当の対価」を受けられる権利が認められていること(特許法三五条三項)で十分に図られるのであり、このために黙示の合意を狭く解する理由は存せず、この点でも原判決は法令の解釈を誤まり、この誤りが判決に影響を及ぼしている。

3 原判決が前示のような誤った法令解釈によって、「黙示の合意」を認める余地を狭めるようなことをしなければ、本件発明が「公知のもの」として米国特許庁から特許として認められないことも十分考えられ、そのために被上告人名義で特許申請をしたこと(原判決六ページ)、出願費用を訴外会社が負担したこと(同一七ページ)、他国への出願手続きについて、訴外会社名義で出願を行ない、それに対して被上告人が何ら異議を述べていないこと(同二〇ページ)、被上告人は訴外会社の技術部長として訴外会社の本件発明の米国特許に関する方針を十分知り得る地位にいたこと(同四ページ)という原判決が認定した事実からは、被上告人の合意の意思が十分認められるのである。

三 結語

わが国の小企業の中には、職務発明の使用者等への承継に関する規定やそれに専用実施権を設定した場合の「相当の対価」についての規定が整備されていない場合も少なくなく、本件も結局のところこうした状況下で生じた事件である。原判決は、わが国におけるこのような現実に目をつぶり、いたずらに黙示の意思表示を認める範囲を狭めるような法文の解釈をして、誤った認定をしたものである。もし、このような解釈が認められるのであれば、わが国小企業においては、ほとんど企業への職務発明の承継が認められないことになり、発明に際して人的、物的に多大の貢献をしている企業の商品開発意欲を削ぎ、結果的に科学技術の発達を妨げることにもなりかねないのである。

以上のことからして、本件で、被上告人の「黙示の合意」が認められなかったのは、原判決が「黙示の合意」について誤った解釈をしたためであることが明らかであり(法令の違背)、この誤りは判決に影響を及ぼすので、破棄を免かれない。

第二

原判決には理由不備の違法がある。

1 原判決は職務発明であることは争いもなく認めている。

本件は、株式会社エス・アール・デーの技術部員四五人余りの関与によりなされた発明に対して、会社がその費用を払ってその部長名で為した特許申請である。

会社がその費用で会社の管理職たる部長名でなした特許申請は、本来的には会社の特許申請と見るのが経験則である。しかるに、これを個人の特許申請であって会社への譲渡の黙示の合意はないという。

特許権は本来発明者に原始的に帰属するものであれば、特許権者の立場を尊重した結論を得たいのが人情ではある。然し、部長というのは管理職であってむしろ発明は現場の技術者の苦労が稔るのが一般であろう。さればこそ、職務発明は発明者全員の共有に属する。

此処において、被上告人が単独発明した立証もないにも拘らず、職務上の他者を無視して単純に、百歩譲っても一〇数人又は数人の発明者の一人についての事情のみを以てその一人に特許権を帰属せしめる判決は理由不備のそしりを免れない。

2 また、本件は一小企業の事案であるため、法整備の行き届いた大企業のような就業規則等社内規定の明示の意思は存しないが、職務発明は当然に対価なく会社に帰属するのが会社の方針であり、かつ被上告人は、昭和五七年五月二四日に辞任するまで取締役として代表者と共に会社の経営に深くかかわっていたのであるから、このような基本方針について認識していないとするのは、経験則に反するというべきである。

また特許申請時に従業員たる被上告人が費用負担を会社にさせていたことからも、被上告人自身が代表者と同様の認識を持っていたことが明らかである。

3 原判決は更新料を被上告人が支払っていたことを以て、申請時の黙示の合意を否定する。更新料支払いの発生という事情は株式会社エス・アール・デー倒産後の事情であり、会社が特許申請を依頼した特許事務所が倒産会社でなく特許名義人に通知し、その特許管理料を得んとすることは当然のことであって、その間の何らの通知連絡に接しない上告人に対してあまりにも重い負担を強いるものであって、判示を以て、黙示の合意の存在を否定するのは論理的でない(理由二2(三))。

4 事実経過からみても、黙示の合意を認めた第一審判決は誠に合理的である。株式会社エス・アール・デーがこの技術を使用して生産販売を継続していたにも拘らず、被上告人はこれについて一切の対価の要求をしたことはなかった。しかるに倒産後に初めて特許権は被上告人に譲渡するという合意が存したなどと主張し始めて自らの権利主張に及び、更に訴訟の学習効果によって自らの発明という主張に変容させてこれを強化せんとしてきたことが明白なのにも拘らず、原判決が彼様な事実を無視しているのは採証の経験則に反する。

5 確かに黙示の合意は一種の擬制的側面はある。

しかし、原判決が、使用者側に職務発明は無償かつ当然に会社に帰属するものであるとの意志が明白な場合にまで黙示の合意の成立を認めることはできないというのは、擬制をこえた不合理な感情表現であって理由不備のそしりを免れない。

6 また、原判決は、我国で特許がアメリカの特許成立に先立つ八ケ月前に公開されているのであるから、ライバル会社に知られ、妨害を受ける危険性があったので個人出願としたというのは合理性がないという。

しかし、会社名で日本で特許をとって情報が公開されているからには、会社がアメリカにおける特許も申請しているのではないかとアメリカの会社に調査され、妨害されるおそれがあるのであって、さればこそ、これを避ける為、個人名の申請にしているのであって、そんな当然の理を合理性がないという原判決は理由不備ないし齟齬の違法があると言わなければならない。

7 被上告人と原判決は、特許管理について利害関係のある下元証人の供述を信用性あるものとして採り、出願時期についての認定を被上告人の主張どおりとするのも納得し難いが、それにしても単に時期についての記憶違いかもしれないものを、ささいな事実認定の一点で主張をとらないことが「控訴人個人の名義を借りただけという主張は肯定し難い。」という。時期につき故意に嘘の供述をしたとしても、他の論点の主張に対する否定への論理へは直ちに結びつかないのに、時期についての記憶違いかもしれないような、裁判所の採用しない供述から、主要な主張が否定されるという論理の飛躍は見逃すことができない(理由二2(一))。

以上より、原判決は破棄を免れない。

以上

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